「立場が人を育てる」とよく言います。
ぼくはこれを、切羽詰まって自分が追い込まれた状況=無理難題こそ成長(スキルアップ)のチャンスであると理解しています。
しかしなぜ、追い込まれるほど成長するのでしょうか? 本当に成長するのでしょうか? なにか大事な前提が抜け落ちていないでしょうか?
今回はわかりやすい事例として「逆巻弦の実験」という話を共有してみます。
インゲンのツルを逆巻きにしたら収穫量2倍
出典は、2000年8月7日の読売新聞の記事。
タイトルは「いんげんのつる 逆巻きにしたら・・・緊張感で収量2倍」
ツルアリインゲンを使い、ツルが、下から見て時計回りになる右巻きの物、ツルを紐でしばって真っ直ぐに伸ばした物、左巻きにした物・・・の3タイプについて其々15本育て、収穫したさやの数を比較した所、一個一個のさやの大きさや重さは同じでしたが、真っすぐは右巻きの1.5倍、左巻きは2倍の結果が出た。つまりツルの巻き方を自然の状態と逆にする程,収穫量が多くなることがわかったのです。
まとめると、収穫量が
- ツルをそのまま:1倍
- ツルをまっすぐ:1.5倍
- ツルを逆巻きに:2倍
と増加していった……という実験です。
この実験のむすびとして、実験を行った名古屋大学大学院物質・生命情報学の手塚修文教授は、
「強制的な左巻きはストレス一歩手前の『心地よい緊張状態』を生み出し、光合成など代謝系が活性化し、タンパク質が増えたのではないか」
「インゲンだけでなく、ニンゲンも苦労が必要なのではないか」
と結んでいます。
インゲンの理論がニンゲンに適用できるわけがない
ぼくがこの記事を知ったきっかけは、元経営者の父です。彼、この記事のスクラップを大事に取っておったんですね。
で、社会人になる直前に父を訪ねたとき、この記事を見せてもらいました。
初見でのぼくの感想は「そんなことがあるかいな」でした。
インゲンの実験で得た理論がそのまま、ニンゲンに適用できわけがありません。
そもそも逆巻きのような無理な状況に置かれたとして、茎が折れてしまっては意味がありません。ニンゲンの場合、茎ではなく心が折れる場合もあります。
とはいえ記事の初出が2000年。「若いときの苦労は買ってでもしろ」が当たり前だった時代なので、「ニンゲンにも苦労は必要」が広く受け入れられていたのだと思います。
切羽詰まった状況は成長のチャンスなのは確か
しかし、だからといって「逆巻弦の実験」を全否定してはいけません。
無理難題に思える状況は、たしかに人を成長させるからです。
成長の源泉は行動にあり
そもそも成長=スキルアップするには行動が必要です。
過去記事「スキルアップのスピードを早める「キャッチアップ力」の磨き方」にも書きましたが、スキルは「知識」と「技能」で構成されます。
- 知識:対象物について知ること
- 技能:知識を価値に変えること
これら両方を身につけて、はじめてスキルは価値を生み出すもの。
知識をつけるには本などを買えばいいですが、本を買って満足、読んで満足、「読了」「行動宣言」だけしてなにもしないのはダメ。
行動に移し、「技能」を磨いてこそ、「知識」はスキルへ昇華されるんです。
火事場は行動力を最大化する
そして逆巻きのような苦しい状況、つまり火事場は、行動力を最大化します。
のっぴきならない状況に陥り、今すぐにどうにかしないと立ち行かない……そんな火事場の危機感は、行動を起こすモチベーションとしては最強です。
たとえは悪いかもしれないですが、昔、こんな話を聞いたことがあります。
実家も親戚とも縁はなしの、シングルマザー家庭。
先日、母が急逝した。交通事故だった。
悲しいはずなのに、私はむしろ冷静だった。
頭の中にある言葉はただひとつ。
「明日から、どう生き抜こうか」
その後の話は聞いていないのですが、生き抜くためにとにかく動いたであろうことは、想像に難くありません。
もちろん無理難題を目の前に、頭が真っ白になって身動きが取れなくなることもあると思います。
しかしそこで行動を起こす側に心が倒れた場合においては、そのモチベーションの強さは限りなく強くなるでしょう。
火事場での行動結果は、成否問わず経験値として残る
こうして「動く」という選択をしたあかつきには、
- 苦しくとも乗り越えた(成功)
- あえなく潰えた(失敗)
のいずれかが待ち受けています。
もちろん成功するに越したことはありません。無理難題を乗り切った成功体験は、その後の自分の基盤とも言える貴重な体験として、将来にわたって自己肯定感を与えてくれることでしょう。
しかし失敗したとしても、ものすごい経験値が手元に残ります。失敗はしたが、無理難題にチャレンジする方を自分は選んだ。その事実は自分の勇気を証明するものだからです。(ただしセーフティーネットは必要)
つまりどんな結果になろうとも、無理難題に挑むことは成長につながるといえます。「行動しない」選択は一番もったいない。
重要な前提:「心地よい緊張状態」
ではどうればいいのか?
ここでもう少し、「逆巻弦の実験」を読み解いてみましょう。
するといくつか重要な前提が置かれていることがわかります。
「適切に管理された状態」であること
植物は、環境の変化でストレスを生じ、活性酸素が一定レベル以上に増えると細胞がダメージを受けるが、ある程度の活性酸素は、少し増えても害にならず、 逆にプラス効果を生む
- 過剰な活性酸素 → ダメージを受ける
- ある程度の分量 → プラス効果を生む
つまり「逆巻弦」実験は、ストレスレベルが適切に管理された状態であるという前提つきなんです。
「心地よい緊張状態」であること
強制的な左巻きはストレス一歩手前の『心地よい緊張状態』を生み出し、 光合成など代謝系が活性化し、タンパク質が増えたのではないか
- 強制的な逆巻きはストレス
- ストレスレベルは「心地よい緊張状態」
つまり弦を逆巻きにする行いは、たまたま「心地よい緊張状態」に該当するストレスレベルだっただけ。
「苦労するほど育つ」と理解するのは誤り
つまり
- ストレスレベルが適切に管理された状況で
- 「心地よい緊張感」で努力すれば
- 成長速度は2倍になることもある
というのが、「逆巻弦の実験」の実態です。
つまりこの実験結果をもって「立場が人を育てる」を全肯定するのは間違い。
同じく、似たような言葉である
- 苦労するほど人は育つ
- 若いときの苦労は買ってでもしろ
- 子は千尋の谷に落とせ
などの格言をノールックで正当化するのは、ブラック企業まっさかさまのスパルタ系マッチョ理論なので、やめたほうがいいでしょう。
インゲンだって、維管束がちぎれるほど強くツルを逆巻きされれば、茎が枯れて死にゆくんですから。
「適度な緊張感」をいかに見極めるか
以上の議論をまとめると、「立場が人を育てる」を成り立たせるには
- 無理難題に挑む勇気を持つ
- 「適度な緊張感」レベルを見極める
- セーフティーネットを整える
の3点が必要ということです。
無理難題に挑む勇気を持つ
これは、無理難題を振られる側の人の話です。
より上の立場になる。責任が重くなる。新しいことを任される。
これまでの自分の経験や手持ちのスキルでは到底足りない、そんな状況を目の前に、逃げない勇気を持つ。歯を食いしばって前を向く。一歩踏み出して「やります」と言う。
精神論ではありますが、「立場が人を育てる」の「人」自身が、行動を起こしてチャレンジするマインドを持っている必要があります。
「適度な緊張感」のレベルを見極める
無理難題の振りかたも意識すべきです。
新卒社員に「10万人企業の経営幹部をやれ」と言う。技術屋に「広告ディレクションをやれ」と言う。それも「1人だけで、1ヶ月でできるようになれ」と言う。
定形作業を効率的にこなすのは得意だけど、ふわふわした状況でなにかを決める仕事が苦手……というタイプの人に「IT戦略を考えろ」と言う。
「ワークライフバランスが一番」という考えのもと、無理して立身出世を目指すことはしない……という人に「おまえ幹部候補だからとにかく売上あげてこい」と言う。
このように、全くお門違いで経験ゼロだったり、5W1Hのバランスが崩壊していたり、本人の資質と職務要件ミスマッチしていたり、本人のキャリア志向を無視した無理難題の振り方は、「適度な緊張感」の範疇を明らかに超えています。
ではどのくらいが適切なレベルなのか? と言われると、判断する方程式をぼくは知りません。
しかし少なくとも、本人の資質・スキル・キャリア志向を理解したうえで、本人にが「やりたい」と思える支援体制を整え、「やりたい」と思ってもらえるコミュニケーションをするのは大事かなと思います。
セーフティーネットを整える
これも無理難題を振る側の話ですが、
- 無茶振りするだけして、「あとはお前の責任だから」と突き放す
- 火事場に飛び込むようにそそのかして、「失敗しても自己責任」と放置する
といった、無責任な丸投げをしてはいけません。
相手は大事な部下だったり、教え子だったりするわけです。
であるならば、
- 成功の可能性が高まるよう支援する
- 失敗した場合はケツを持つ
- 失敗しても本人が潰れないよう取り計らう
など、セーフティーネットを整えるべきでしょう。
心身の健康が損なわれるような過酷な状況に蹴落とすだけで放置するのは、ブラック企業の管理職と同じです。
まとめ:「立場が人を育てる」は気をつけて使う
「立場が人を育てる」を金科玉条のように振るい、サポートなしにとにかく任せるのは危なっかしい行いです。
行動力をカチ上げる効果はあるものの、人によっては潰れますし、一時のカンフル剤にしかならない場合もあります。
本人に挑む勇気があったとしても、成功に向けた適切なサポートや、失敗したときのセーフティーネットが整備できないなら、その仕事が失敗&本人の心身の健康喪失リスクは高くなります。
仕事の成功や本人のメンタル管理まで、すべての責任を本人に押しつけるのはただの丸投げ。組織として適切な動き方とはいえません。
「立場が人を育てる」と言い張って無理難題を振る人もまた、無理難題を振る側の立場として「育つ」必要があるのではないでしょうか。
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