ガチガチに理論武装し、なにごとも理詰めしてくる人っていますよね。
どんなことにもロジカルに反応し、360°まわりを固め逃げ道をなくして相手をやり込めるタイプの人。
一見どんな話でも負けない強い人と思われがちですが、逆に理論武装や理詰めをする人には、そうしなければならない理由があると考えてみるとどうでしょう?
そこで今回は、
- 理論武装や理詰めとはなにか
- なぜ理論武装が必要なのか
- その裏にある精神構造と心理
- 理論武装を解く方法
について、ぼくの理解している範囲の持論をお話していきたいと思います。
理論武装、理詰めの定義
まずはじめに、「理論武装」と「理詰め」の定義を確認してみます。
理論武装とは、防御面で理論や論理を活用すること
まずは理論武装です。
自分の立場や主張を他人の批判から守るために、さまざまな理論を準備しておくこと。反論されないよう、理論で対抗すること。
(出典:りろんぶそう【理論武装】の意味 – goo国語辞書)
相手が提示してくる論理・理論に対して、反論・反証できるだけの論理・理論を提示すること、またその用意が設けてあること。
(出典:理論武装とは – はてなキーワード)
ひとことで言うと理論や論理を防御面に活用することということです。
理詰めとは、攻撃面で理論や論理を活用すること
次に理詰めの定義を確認してみます。
思考・議論などを、論理・理屈で押し通すこと。「―で追及する」「―の論法」
議論や思考を理屈だけでおしすすめること。 「 -の談判」 「 -で責め立てる」
(出典:理詰め(リヅメ)とは – コトバンク)
総じて理論や論理を攻撃面に活用することと呼ぶことができます。
理論武装と理詰めは武器・防具である
つまり理論武装や理詰めとは、
理論・論理という強力な道具によって、自分の攻撃力・防御力を補強する術である
といえます。
つまり、武器や防具のようなものですね。
理論武装や理詰めをしたくなる理由
しかし、なぜ人は理論武装や理詰めをするのでしょうか。
実を言うとぼく自身、理論武装や理詰めをしがちなんですが、恥を捨てて本心を書きます。
理由はただひとつ。自分の正しさを自分で証明できて安心するからです。
理論武装していると安心する
理論武装をするとはつまり、鎧をまとっているのと同じ。
自分は守られている状態なのです。
何を言われても根拠をもって反論できます。トヨタばりに「なぜ」を5回繰り返されてもびくともしません。
つまり「攻められてもブレない=自分は正しい」と思えて安心するのです。
理詰めをすると安心する
理詰めをするとはつまり、強い武器を使っていること。
自分の言葉にスキがない状態なのです。
相手がどう反論しようとも、論理に穴がなければ反論はすべて空振り扱いができます。
つまり「自分の正しさ」を確かめられている状態なので、自分は間違っていないと思えて安心するのです。
理論武装や理詰めをする人は「強い」のか
こういう人は外から見ると
- 自分の考えを持っている
- 価値観がしっかりしている
- ブレないから心が強い
と思われがちです。
しかしそもそも、心の強さってなんなんでしょう?
その正体を探ることで、理論武装や理詰めをする人の本当の姿を明らかにしていきたいと思います。
「心の強さ」にはメンタル、価値観、ロジックの3つの層がある
思うに、理論武装や理詰めをする人の「芯」には年輪のような3つの層があるのではないかと思っています。
- メンタル層:最も内側のコア部分
- 価値観層:メンタル層を囲む中間層
- ロジック層:価値観層を囲む外層
それぞれについて「プラス思考・マイナス思考」を例に説明してみます。
メンタル層:人としての性質(たち)
メンタル層は「芯」の最も内側に位置する中心部分です。
人間としての性質(たち)と呼ばれ、無意識により支配されています。
主に先天的に傾向が決まり、意識的にコントロールすることが難しいため、変えることができません。
深層心理や感情といったもので構成されており、デフォルト状態の思考回路とも呼べます言えます。
プラス思考、マイナス思考での例
「何か起きるとまずはじめにマイナス面に目が向いてしまう」はメンタル層での出来事です
価値観層:性格、信念・信条、原理原則
メンタル層をとり囲むふたつ目の層が、価値感層です。
メンタル層と異なり、意識によるコントロールが可能で、後天的に変えることができます。
「性格を変える」「視点や考え方を変える」「信念を持つ」などはこの層におけるできごとです。
いわゆるライフハックや名著「7つの習慣」における原理原則もここに含まれます。
思考回路を意図的に変える材料が「価値感層」に集まっている、とも言えます。
プラス思考、マイナス思考の例
メンタル層ではじめにマイナス面に目が向いた心を「考え方」によってプラス思考に矯正するのが、価値観層での出来事です
ロジック層:理論や論理、左脳の世界
最後にロジック層は、価値観層のさらに外側に位置する表層です。
ロジック層は
- 論理の材料、たとえば自身の経験や外からの情報
- それらを用いた話の組み立てや論理展開パターン
の2つからなってます。数学でいえば個別具体的な「変数」および「公理・定理を用いた演算」ですね。
プラス思考・マイナス思考での例
「マイナス思考を脱却しプラス思考に転換すべき3つの理由」のように、価値観層を論理で補強するのは、ロジック層での出来事です
「心の強さ」のパターン
「心が強い」というのはつまり、メンタル、価値観、ロジックの3つの層からなる柱を外から見たときに折れなさそうに見えるだけではなのかと。
すなわち一言で「心強い」といってもさまざまなパターンがあるということ。
たとえば・・・
- メンタルも価値観もロジックも超合金レベル
- メンタルはマッチョだけど、価値観やロジックはペラペラ
- 1ミリしかないメンタルを、価値観とロジックが支えている
つまり、心が強いのとメンタルが強いのは違うんです。
素手が強ければ武器防具なんていらない
こう考えると、理論武装や理詰めをする人の「強さ」の源はロジック層の厚さということになります。
ロジック層が厚いことは、必ずしもメンタル層や価値観層が強いことを意味しません。
逆に、実は理論武装や理詰めをする=ロジック層を固めて自分を支える必要がある=メンタルはやわらかプリンなのかもしれないのです。
理論武装や理詰めを「しなければならない」理由
そもそも、理論武装や理詰めをする人は、攻撃力や防御力をカサ増しするためロジックを武器・防具として使っています。
そして、レベル1のヘボい勇者であっても天空シリーズの武器防具を装備すればそうそう負けません。
逆にいうと、素の攻撃力や防御力が十分に強ければ強い武器や防具なんていらないはずですよね。
武器防具がいるのは中身がレベル1だから、という可能性があるんです。
理論武装や理詰めを「したくなる」本当の心理
理論武装や理詰めをする人の心理をふりかえってみましょう。
「実はメンタルが弱いのかも」という前提で見てみると、また違う景色が見えてきます。
理論武装で防御力をあげたい心理
人から何を言われても大丈夫でいたい。
そんな状態を作るため、自分のスタンスを正しさを証明する理論を構築します。
やいばのよろいを身にまとい、まじんのおのを上段に構えながら、ちっぽけな中身を守るんです。
だってそうしないと内側の豆腐がガツガツ削られますからね。
理詰めで攻撃力をあげたい心理
自分の言動は正しい。それを証明するために、後ろ盾となる理論を構築します。
感情モリモリのエモいハダカの言葉なんて絶対に口にしません。
それを否定されると豆腐メンタルがぺちゃんこになるので。
生の言葉のまわりに何層にも鉄格子を重ね、時には有刺鉄線で囲い、相手を牽制しつつ、つけ入るスキを与えません。
固くて冷たく、時には痛い言葉を投げつけることで、自分が攻められないように先に相手を攻めるんです。
理論武装や理詰めに対処する方法
理論武装や理詰めをする人の心の内側を分析してみましたが、いかがでしょうか。
意外とメンタルが弱いのかもしれない、ということがおわかりいただけたかと思います。
次は、そんな人にどう対処するかを考えてみます。
ロジック層を打ち破り、価値観層を通りぬけ、メンタル層に直接パンチを叩き込む。
アプローチは2つです。
- 鎧ごと吹き飛ばす
- 武装解除させる
鎧ごと吹き飛ばす
いかに鎧が強かろうとも、着ている人そのものを吹き飛ばせば中の豆腐は衝撃を受けます。
いかに鎧が硬かろうが厚かろうが、こればかりは防げません。「北風と太陽」の北風がとる手法です。
正面切って相手を潰しにかかるアプローチですね。これには、理論系の方法と、感情系の方法があります。
理論系の方法
相手の鎧が硬ければ、より硬く、強く武装した言葉のカタマリを投げつけて、鎧をぶち壊せばよい。
自分の中にある正しいロジックでひたすら叩き続けます。
相手にとっては理不尽であろうと、相手の鎧がボコボコになるまで殴り続けるのです。
これが理論系の方法です。相手との仲が悪くなりそうなむちゃくちゃな方法ですね。
感情系の方法
感情系の方法はひと味違います。
感情むき出しの生の言葉を津波のように浴びせかけ、鎧ごと中身の豆腐メンタルを揺さぶります。
相手にキレながら思いのたけをひたすら叫び続けるのはこの部類です。
ダメージを受けた豆腐はきっと、おれの鎧とはなんだったのか・・・となるに違いありません。
これもまたむちゃくちゃですね。
武装解除させる
一方、武装に使われているロジックを1つ1つ解いていくアプローチもあります。
こちらにも2つの方法があります。強制的な武装解除と、自主的な武装解除です。
強制的な武装解除
ひとつ目は、鎧についている鉄板を無理やり剥ぎ取る方法です。
ひたすらロジックの穴をつき、否定し続けることで、強制的に武装を取り外しにかかります。要するにレベルを上げて物理で殴るガチ論破ですね。
これもあまりオススメしません。自分を守るものが1つ1つ取り除かれるのを中から見るのは恐怖ですから。
丸裸にされた頃にはその人は自信を失ってしまい、ひょっとすると心が病んでしまうかもしれません。
自主的な武装解除
ふたつ目は「北風と太陽」でいうところの「太陽」のアプローチ。自分で心を開かせます。
やいばのよろいを優しく包み込んで、
- あなたの気持ちや意見はわかってますよ
- 自分には十分伝わってますよ
- だから鎧なんて着ていなくてもいいんだよ
と自分は味方だと安心させてあげることで、自ら武装を解かせます。
時間はかかりますが、互いに心を開くコミュニケーションができるため、可能な限りこのアプローチをおすすめします。
あ、でもそれで心を開いた瞬間にオラオラするのはやめてくださいね。
より強固な鎧を身にまとってしまい、取り返しがつかなくなります。
まとめ:理論武装や理詰めする人の心理を理解しよう
というわけで、理論武装や理詰めする側にも理由あるかもよ、というお話でした。
別にロジックガチガチでいることが悪いとか、そういう人はガチ論破されて散ったほうがいいとか、逆に自分の防御力をあげようとか言っているわけではありません。
論理に包まれた固く冷たい言葉を受けとる側がその背景を理解できれば「あーそういうことね」と思えるじゃないですか。
そうすれば自分が受けるダメージも減るし、モヤモヤイライラすることも減るんじゃないの?と。
理論武装や理詰めをしている人の心理を知って、ぜひ「太陽」と「旅人」の関係を目指してみてください。
コメント
素が強ければ装備が要らないと
ありましたが、素が強いなら、もっと強くなる
為に、装備を纏うという考え方を排除するのは
如何なものかと思います。
すでに書かれていますが、私も理論武装する理由はさらなる強靱化のためです。
レベル1の天空シリーズの武器防具より
レベル99の天空シリーズの武器防具の方が強いから、ただそれだけです
分かり安い文章ではありますが、【 鎧が硬い人は中身が柔らかい 】というのは論理
の飛躍があります。なぜなら、あなたの3層説によっては、鎧も中身も両方硬い可能性
を排除できないからです。
とすると、例えば、統計的に「鎧が硬い者は中身がやわらかい可能性が高い」とか、「両
方硬い人は早々いない」事を示して、【 】を擬制 することに一定の妥当性・合理性を見
出す等ならまだわかりますが、それすらせずに上記【 】を前提とした主張を行うことは、
主張自体未完成と言わざるを得ません。
相手の間違いを指摘する時は誤字脱字に気を付けないとダメですよー。自分が足元掬われちゃうから。正しくは分かり「易い」ですよ!
そうですよね。
>自分が足元掬われちゃうから
これは
足を掬われちゃう、ですしね。
今までずっと勘違いしてました…。
教えて頂きありがとうございます!
理論武装に対処するために自分も理論武装をするという素晴らしい記事ですね。
理論武装に対処するためにこちらも理論武装するという素晴らしい記事ですね。
でも、理詰めされてもメンタル・価値観層がしっかりしていればイライラしたりダメージを受けて揺らぐことはないと思うので、対処しようとする側もメンタルが弱いという矛盾が発生してしまうのではないでしょうか。
理詰めに関しては何か人に偏見を植え付ける事を意図したような記事が多々見受けられますが、理詰めを攻撃的に捉えるのがそもそもの間違いでしょう。言葉の内容が論理的だからと言って、そこに悪意があるとは限らない事ですし。何より言葉に論理道理を持たせるというのは正しい人間関係を築く上ではむしろ基本であると考えますがね。間違いを正論で指摘されて嫌悪を示す相手こそ人格的に問題があり積極的に関わりたくないと思います。世間一般では理詰めよりもむしろ理を欠いた軽率な言葉で相手を不快にさせる事例の方が多いですよ。
コメントありがとうございます。
理論が通っていること自体はいい事だと思っています。意図が明確になり、言葉も通じやすくなるからです。
「理」が悪いのではありませんし、フラットな論理展開としての「詰める」も悪くありません。
悪いのは、それを相手を貶め攻撃する目的に使ってしまう姿勢だと思っています。
正論であろうと理を書いた軽率な言葉だろうと、そこは変わりありません。
横からで失礼
それって攻撃が悪いんであって、理論武装が悪いんでは無くないですか?
ですがこの記事は理論武装している人の人格についてですよね。
言っていることがズレてきていると思います。
攻撃的かつ論理がユルユルな人間はそもそも論外なので話題にすらしていないだけだと思います
より厄介なのは攻撃的かつ論理をガチガチに固めてる人間なので、その背景や対処法を教えて頂けるのは大変有難いです
相手から何かを言われたら、論理を使って反論せずにはいられない人がいるとします。彼が相手の言葉を自分への攻撃と受け取ってしまいやすいのはメンタルの弱さの要素と言えます。ではメンタルを守るとはどういうことなのか。
それは、どういう言葉が自分への攻撃と受け取られるのか考えて見るとわかります。それは人格攻撃と価値観の否定です。前者については例えば「お前はバカだ」とか。後者については宗教や自分のアイデンティティに関わることなどを否定されることが当てはまります。価値観と人格は結び付きが強いからです。後者より前者の方が本質的です。つまり、人格攻撃をされて傷つきやすいのがメンタルの弱さであり、人格攻撃をやめさようとするのがメンタルを守ると言うことです。
言葉が自分への攻撃と感じられやすい理由は、何でもない言葉が人格攻撃と感じられてしまうからだと思います。そういう人は被害妄想をしやすい心理構造をしているのでしょう。
コメントありがとうございます。
相手を攻撃するのは、自分を守りたいがゆえ。守る必要性を感じる根源は、被害を受けたという思いである。被害を受けたと思うかは、当人の心理構造に依存する。
・・・ということですね。
論旨はぼくと同じです。理詰めはあくまでその表出にすぎない。
理論武装をする人はメンタル面よりも話の中身を重要視してると思います。
根拠もなく話をするよりも、しっかりと根拠を持って話し合う事で会話の内容に価値を持たせたいのだと思います。
理論武装する人はそれ(根拠を持った会話)を相手にも求めているのだと思います。
だから相手の間違った部分を根拠を持って否定するのです。
間違った前提・知識を否定をして修正しない限り、それ以降の会話はその人にとって無価値になってしまいます。何より本人が会話の内容に納得出来ないでしょう。
理論武装や理詰めする側への対処は「正しい知識や理屈をもって会話をする」事です。理論武装をする人はちゃんと根拠を提示すれば納得してくれます。攻撃や防御といった考えは人格攻撃等を誘発するのであまり良い考えとは思えません。
根拠を提示されても自分の誤りを認めない人は理論武装とか関係なくプライドが高く意地っ張りな性格をしているだけです。