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「この体との付き合いは長くなる」という感覚

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最近タイトルのようなことを考えることが多くなった。

まるで自分はロボットの操縦士で、ロボット自体は乗り換えが可能という感覚。

良し悪しはあるけれど、今のところ良い方向に働くことが多い。

あとあと振り返ることがあるかもしれないと思うので、記しておきたいと思う。

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自分の本体は心

人間の本体は何者だ、という本質的な問い。

身体なのか心なのか。心だとしたら心の本体とは何者か。思考か。脳を巡る電流の一つ一つが人間を人間たらしめているのか。となると人間の本体は物理現象なのか。

もしくは魂のように、今の物理学だと計測できないものがそこにあり、人間の本体はそちらの世界に属しているのか。

色々と派閥や議論あると思うが、本記事執筆時点のぼくの考えは、自分の本体は心、である。

体は付属品

では体はどうなのかと言うと、身体は心の付属品であると捉えている。

当然、心と体は連動する。体が疲れは心の向かう方向に影響する。健康な精神は健康な肉体に宿る。逆も然りである。

しかし体が主とは思わない。体は心の動きを物理世界で実現する媒介であり、あくまで心が主、で身体が従だと考える。

冒頭の表現で言うならば心は操縦士で、体はロボットなのだ。

ロボットの特性をあげるならばこんなもんだろうか。

  • ロボットと操縦士は感覚を同じくしている。ロボットが怪我をすれば当然、操縦士にダメージが至る。
  • ロボットはアップグレード可能だ。部品の交換という形ではなく、鍛えるという形にはなるが、自分の意思次第で良くも悪くもなる。
  • ロボットは、良い使い方をすれば長くよりよく働いてくれる。悪い使い方をすれば劣化が加速する一方だ。
  • ロボットの劣化や停止は、現実世界での活動停滞や停止を意味する。

体は代替不可能

とはいえ現時点で自分が持っているロボットは一体のみ。他に代替できるわけではない。少なくとも本気で執筆時点では。

仮に劣化したとしても、活動停止に陥ったとしても逆に活力あふれる状態が維持できたとしても、それは自分が招いた結果である。まさに健やかなる時も病める時も、だ。

なので、なるべく傷をつけないように、大事にメンテナンスしながら、長く使い続けようと思うのが理想だ。

が、あくまで理想である。どうせ代替不可能なんだ、という消極的なモチベーションでしぶしぶメンテナンスするパターンもあるだろう。

ぼくの場合、そこまで積極的に大事にしようとは思わない。自分の本体は心であり心が満たされ安寧を得ていることが重要だからだ。ただし自分の持ち物であるロボットの機能や性能があまりに劣化し過ぎてやりたいことができなくなることは避けたい。

結果として「どうせこの体との付き合いは長くなるからメンテしてやるか」と、半ば諦めの境地のような心持ちで体というモノと付き合っている。

まとめ

この体とは、おそらく今後、4〜50年は付き合っていくのだろう。

結婚で表現すれば長年連れ添った相手。友達関係でいえば腐れ縁。「愛情」はなくとも「情」は湧く。

「どうせ連れ添うなら少しは大事に扱ってやるか」「ただし俺(本体である心、操縦士)に迷惑はかけてくれるなよ」

そんな気持ちで、なかば消極的にメンテナンスしてやろうと思う。

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