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休みがない…1ヶ月半休みなしの激務により過労で倒れました

仕事の重石に潰される激務で倒れた過労の人 精神

2016年8月、事情により1ヶ月半ほど1日15時間は働きつつ毎日終電で帰る状況になりました。

うち半分は終電すら間に合わず深夜にタクシー帰り。最後の2週間は休日も出勤、休みがない状態でした。

結果、心身ともに消耗し、過労でぶっ倒れました

状態が落ち着いてきたので、同じことを繰り返さないために今回は

  • なぜ激務に陥ったのか
  • その後の対応や経過などから得た学び

を、振り返ります。

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休みがないきっかけは、ヘルプに入った炎上プロジェクト

きっかけは片手間でヘルプに入った炎上プロジェクトです。

もともと30%くらいの参画率でヘルプを要請されていました。

週に1.5日ほどはヘルプ先に、残りの3.5日は主に担当しているプロジェクトに、という割りふりです。

30%くらいなら調整可能だと引き受けたんですが……

それのがすべての始まりでした。

稼働率170%、深夜残業続きで休みがない状態に

結局、ヘルプ先のプロジェクトにほぼ100%張りつかないといけないことに。

理由は、プロジェクトメンバーのスキルミスマッチが激しかったため。これについては後述します。

ぼくの稼働率は、主担当のプロジェクトとあわせて実に170%にもなってしまったのです。

怒涛の深夜残業と休日出勤の日々。1日5時間以上の残業はあたりまえ。土日も半分は仕事。

月曜朝にクライアントと会議があれば、土曜午後に会社に集まって議論し、日曜午後からオンラインで最終確認の会議を開く。

蟹工船ばりのブラック企業で働く悪夢を見てハッと起き上がり、胸をなでおろした朝もありました。

そうしているうちにヘルプ先プロジェクトが本格的に炎上しはじめ、稼働は170%をさらに越えていきました。

なぜこうなったのか……炎上の原因の数々

なぜこんなことになったのか?

炎上の原因は多岐にわたります。

古くさく、リスクに過敏な仕事のやり方

まず、クライアントの求める仕事のやり方が古くさかったこと。

たとえば会議調整にエクセルを使うとか。Outlook一発ではいけない風土だそうで。

会議日程調整がエクセル+メール添付+回覧という狂気の沙汰
昔ながらの企業さんと仕事をさせていただきましたが、会議調整が面倒過ぎて発狂しそうでした。

またプロジェクトの遅延リスクを気にしすぎるがあまり、管理のための管理に走る悪循環にも陥っていました。

短期で戦略を決める仕事にもかかわらず、半日単位での作業工程表の作成や進捗管理を求めてくる。

会議を開けば半分以上の時間は工程表のレビューに費やされ、仕事の中身の議論が十分にできない。

するとスケジュールはさらに遅延し、工程表の修正を求められ、次の会議でまた修正版工程表をウォークスルーする。するとまた中身の議論がままならず……

こんな悪循環が繰り返されていた結果、プロジェクト開始時点の想定よりはるかに大きな管理コストがかかり、実作業にかけられる工数がいやというほど吸い取られていきました

夜眠れない理由は「今日はやりきった・生ききった感」不足ではないか
「一日を生ききった」「今日はやりきった」と思えれば、夜にストンと眠れるのではないでしょうか。

プロジェクト前提が崩れているのに放置

次に、プロジェクト開始時点で合意していた前提が覆っていたのに、その影響と対応をクライアントと交渉していなかったこと。

インプット資料として経営戦略が即時提供される前提だったんです。

なのに「それは社内で議論中」と提供を断られ、情報不足を補完するため各所にヒアリングをして回るハメに。

そんな工数、見積もり時点でそもそも見込まれていません。前提が覆ったんですから、その影響を明らかにしスケジュールやスコープの見直し交渉をすべきところです。

なのにプロジェクトの責任者はクライアントの押しに負けてイエスマン対応しかしていませんでした。

そのしわ寄せで現場が死ぬほど働かなければならなくなったのです。

夜眠れない理由は「今日はやりきった・生ききった感」不足ではないか
「一日を生ききった」「今日はやりきった」と思えれば、夜にストンと眠れるのではないでしょうか。

船頭多くして船山に登る…どころか、前に進まない

また、プロジェクトチームの編成も不十分でした。リーダー陣の責任分担が曖昧なまま突っ走っていたのです。

このプロジェクトはクライアントにも弊社にも重要な案件。お偉方も大注目していた結果、複数人の「責任者」がパートタイムで参画していたのです。

その中にトップダウン型に進めたい人とボトムアップ型で進めたい人がおりました。2人とも偉いので、お互い「こうしろ」と全く逆の方針を現場に指示します。

現場はその時に目の前にいるお偉方の出す方針に従って成果物を書きます。が、もう一人のお偉方によるレビューで「なんだこれ」とひっくり返される。

そうして成果物にかけた工数の大半が無駄にすり潰されていく……

そんなことが繰り返されていました。

人材とスキルのミスマッチ

最後に、プロジェクトに参画している人材の半数がスキルミスマッチでした。

超上流のさらに上な位置づけである戦略のプロジェクト。にもかかわらず、これまでシステム開発、データ移行やテストなど、いわゆる下流工程しか経験のないメンバーが半数を占めていたのです。

戦略がわからないメンバーが上げてきた資料を、戦略のわからないサブリーダーがレビューするのです。満足な成果物が出てくるわけがありません。

また、メンバーの中に「仕事の仕方がわからんしつまらん」と漏らしながらチームの雰囲気を悪くしまくる厄介な人も。

年次の関係でチームのサブリーダーだったのですが、その立場もあいまってチームメンバーの士気がダダ下がり。

そうしてメンバーのやる気や仕事の効率は地に落ちていたのです。

夜眠れない理由は「今日はやりきった・生ききった感」不足ではないか
「一日を生ききった」「今日はやりきった」と思えれば、夜にストンと眠れるのではないでしょうか。

立て直しのため休みなしで仕事することに

そんな炎上原因のオールスターがそろった香ばしいプロジェクト。

しかし非常に重要な取り組みのため失敗させるわけにはいかない、とお偉方。

人材配置の見直し、体制の立て直し、これまでの成果物の棚卸と品質強化、最終報告までの全体アプローチ再定義、計画の見直し……

結局、最初からプロジェクトをやり直すような状態になりました。ただし、期間は半分です。

この猛烈な立て直しと追い上げのため、プロジェクト専任になってからの2週間は1日15時間近くの勤務を土日関係なく続けることになったのです。

心がすり切れ、心療内科送りに

激務で進捗を取り戻す。納期と品質を守る点からすれば正しい判断です。

しかし、人という点で無理が生じました。

休みがないまま朝から終電まで仕事を続けて2週間。疲れがピークに達した日の翌朝のことでした……

自宅すら思い出せない自分

夢を見たんです。

いつもの寝室のベッドから起き上がり、自宅のトイレに行く夢でした。

しかしトイレがなんだかいつもと違う。一度ベッドに戻ってまたトイレに向かうと、また別のトイレになっている。

これはおかしい。だってわが家のトイレはこうじゃなくて……

 

思い出せない。

わが家のトイレはどんなレイアウトをしていたんだっけ。毎日過ごしているトイレのはずなのに、その姿形が全く思い出せない。

ぼくは家のトイレさえ思い出せなくなるほど仕事に時間を吸われていたのか

トイレだけじゃない。家族の顔を見て話す時間すら、仕事のせいで少なくなっている。

このままだと、もしかしたら、愛する家族の顔すら忘れてしまうんだろうか……

 

ここで目が覚めました。

起きた瞬間、涙が止まらなかったですよね。

休みをもらい、心療内科へ

こうなる前から前兆はありました。

咳や熱などの体調不良が続き、仕事の効率は日に日に落ちていき、先輩からも心配されていました。

その究極形として、夢が身体を守れとアラートを出し、涙を流すに至ったということなのでしょう。

涙が出てくるのは相当のストレスを感じている証拠なんだそうです。

過労の兆候に気づくことができた4つの方法
自分の心身にあらわれる過労の兆候。出ていても気づかなければ意味がありません。自分だけでなく、他人も巻き込んですぐに検知できるようにしておきましょう。

 

涙が止まらないのは生まれて初めての経験です。

さすがにこれはまずいと、上司に連絡して休みをもらいました。

そして心配する妻のすすめで心療内科を受診しました。

その時の様子は下記記事にまとめています。

ゆうメンタルクリニック新宿院に8ヶ月通った結果レポート
人生初の心療内科。ゆうメンタルクリニック新宿院に通いました。初診とその後通ったレポートです。

不安神経症と睡眠障害

診断名は、過労による不安神経症と睡眠障害

診断書も出ています。十分な休息を取ることを強く勧められました。

身体のだるさがまだ抜けないので、2~3日ほど代休をもらうことになりました。

様子を見つつ、回復し次第、職場復帰を目指そうと思っていました。

後日談:産業医のすすめで休職へ

それから1週間。

下記記事に書いたように過労による心身への影響は想像以上に大きく、2〜3日での職場復帰は無理でした。

過労で倒れる前兆と症状を経験者が解説。倒れたい人に伝えたいこと
ストレスと過労で倒れたぼくが前兆と症状をつぶさに語ります。自分ならすぐ回復できると思ったら大間違い。ストレスと過労をなめてはいけません。

そのため、産業医と相談し、傷病休職に入ることとなりました。

会社の産業医との面談では

  • 焦って職場復帰した8割近くが再休職に陥る
  • 再休職の場合、休職期間が初回の1.5〜2倍になる場合が多い

という情報をいただきました。

また復帰する際には、

  • そもそも通勤電車やオフィス街、会社オフィスという雰囲気に適応できるか
  • 管理職という立場で常にシャープで高品質な仕事を求められる状況に対応できるか

を検証する「慣らし期間」を入れるということでした。

「今は焦らずゆっくり心身をいたわることにフォーカスしてほしい」

「そして良いパフォーマンスが出せる状態で仕事復帰してほしい」

「そのほうが会社にとってもあなたにとってもいい選択肢だから」

「今は『急がば回れ』の時ですよ」

……と産業医は言ってくれました。

正直、ありがたかった。焦っちゃダメですね。

まとめ:休みがないまま仕事し続けたら死ぬ

以上、1ヶ月半死ぬ気で働いた結果、過労で倒れ、心療内科送りになって休職に入ったという話でした。

外資系コンサルティングファームに新卒入社してから10年弱、変化の波にもすぐに適応できることを強みに生きてきました。

外資系コンサルのキャリアで得られるのは「変化に即応する力」である
外資コンサルというキャリアを選んでから10年弱。振り返ってみて思うことをまとめました。

しかしこれほどまでの激務プロジェクトは初めて。残念ながらかなりのレアケースに当たってしまったのだと思います。

変化に即応、今回ばかりはしきれませんでした。

 

今回は夢がぼくをせき止めてくれたので大事には至っていません。

しかし、このまま働き続けていたとしたら心身崩壊していたかもしれません。

いくら仕事がのっぴきならない状況でも、守るべきは自分の心と身体です。

仕事の担当者は替えがきくけど、自分という人間の替えはいません。

根を詰めすぎず、無理をしすぎず、プライベートとのバランスが取れる仕事をしようと固く誓いました。

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