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デジタルネイティブの時代、紙とペンはオワコンになるのか

紙とペンで書いている男性 集中力

なにか文章を書こうとパソコンの前に座ってテキストエディタを開く。

しかし筆は進まず、書いたとしても徒然の散文になってしまう。

一方、いざ紙とペンに持ち替えてみると、不思議と考えが浮かび、整理されていく。

ああ、やっぱり0から1を生みだしたりものごとを整理する作業、パソコンより紙とペンの方が捗るなあ。

 

…なんて思っているNAEです。

が、先日当たり前のように音声入力を仕事で使っている部下を見て、少し考えが変わりました。

スマホやタブレットとともに育ったデジタルネイティブたちには、紙とペンはオワコンなのかもしれない。

そして自分たちおっさんもそちらの方向にかわっていくのかもしれない、と。

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なぜ紙とペンだと頭が働くのか

パソコンを前にすると詰まるのに、なぜ紙とペンだと頭が働くんでしょうか。

デジタルネイティブについて考える前に、ぼく(とおそらく多くの大人たち)がにとって紙とペンの方が強い理由を考えてみます。

紙とペンだと消せないから?

ひとつは、紙とペンだと一度書いたものを消せないからかもしれません。

消せない=書き始めたら書ききらないといけない。最後まで考えをアウトプットしきらないといけない。

そうして残った自分の考えの軌跡を眺めながら、さらに考えを進めることができる。

そうしてどんどん、考えが前に進む。

…というあんばいで頭が働いている気がします。

紙とペンは視点の切り替えが楽だから?

ひとつは、鳥の目(全体)と虫の目(個別)の視点を行き来しやすいからかもしれません。

パソコンで文章や資料を作っていると、表示領域の関係でどうしても、そこに表示されているものや今入力しているものにフォーカスが寄りがちです。

縮小して全体を見ようにも、解像度の関係で詳細がつぶれてしまい十分に俯瞰がしにくいもの。

また拡大・縮小の切り替えというオペレーションが入るので、思考の流れがとどまりやすい。

一方、紙とペンなら鳥の目/虫の目を切り替えるのは簡単です。焦点をあわせるだけ。

普段ものを見とき自然とやっている所作なので、思考を邪魔しません。

紙とペンで考え、勉強してきた名残?

もうひとつは、これまで紙とペン(鉛筆)を使って勉強してきた名残かもしれません。

エサの匂いをかいだらヨダレをたらすパブロフの犬のように、ペンを握ったら頭が回る「仕組み」になっているのかも。

実は過去に、自分はどんなときに集中しているかを分析してみたことがありましたが、特に集中力が増したのが

  • 5ミリ方眼紙になにか書いていると
  • ホワイトボードになにか書いているとき

の2点でした。

「儀式化」の集中力アップ効果を2ヶ月間検証してみた結果
認知行動療法(CBT)のアイデアを用いた「儀式化」により、いかに集中力を保つことができるのか。実験を通し、効果と限界をひも解きます。

紙とペンは最もなじみ深いツールだから?

最後に、紙とペンは最もつきあいの長い表現ツールだから、というポイントも。

ぼくの息子くんは0歳のときからクレヨンを握り、1歳になって画用紙に線を描き、2歳になって丸や四角、ぬり絵をするようになりました。

30代アラサーのぼくも、息子くんとおそらく同じだったんでしょう。紙とペンとは30年以上つきあっていることになります。

それだけつきあいが長くなじみがある=思考を邪魔しにくい、ということなのかもしれません。

デジタルネイティブにとって紙とペンはオワコンか

消せない、視点切り替えが楽、条件反射、なじみ深さ。紙とペンが強い理由を4点そろえてみました。

さて、これらはスマホやタブレットとともに育ったデジタルネイティブ世代にも当てはまるのでしょうか。

問題を切り分けてみる

まずは4つの要素を「ツールの問題」と「慣れの問題」に分けてみます。

ツールの問題とは、ツールそのものの性質による差異のこと。「剣より槍のほうがリーチが長い」というタイプのもの。

慣れの問題とは、当人の経験による差異のこと。「剣術は強いけど槍術は素人」的なもの。

分けてみると、こうなります。

  • ツールの問題:消せない、視点切り替えが楽
  • 慣れの問題:条件反射、なじみ深さ

ツールの問題

ツールの問題はあまり比較してもしょうがない気がします。

スマホやタブレットのアプリの作りや使われ方に依存するからです。

「消せない」制約がほしければバックスペースや削除ボタンを使わなければいいだけ。

「視点切り替え」はもしかしたらピンチイン・ピンチアウトで直観的にできるかもしれません。

紙とペン、スマホとタブレット、頭を回し考えを進めるツールとしての優劣はつけづらいのでは。

慣れの問題

となると、残りは慣れの問題です。

紙とペンで育った世代と、スマホやタブレットで育った世代、身の回りにあったツールの差がそのまま現れているだけですよ。

…なんていう、なんともつまらない結論になってしまいそうです。

成果が出ればツールはなんでもいい

過去に何度か「最近の若いやつは紙とペンでなくスマホでメモするんだ」なんていうボヤきを見たことがあります。

言っている人の意図はおそらく「それで本当に頭に入っているのか?」でしょう。

仮にデジタルネイティブにとってスマホの方が考えを進めるのに適したツールなのであれば、彼らの心配は杞憂でしょう。

要は、成果が出ればいいんです。

メモを音声入力で済ませる部下

実際、ぼくの部下にほとんどのメモを音声入力で済ませる人がいます。

彼女いわく

「メモレベルならスマホや音声入力を使わないと遅い」

「手書きでメモる時間を考える時間に回すほうがよほどいい」

ということ。

特に英語の場合、音声入力の精度がものすごく高いので使わない手はないと。(日本語はまだまだ)

考えるプロセス自体が違うのかも

へえーって思いました。

もしかしたら、ぼくと彼女は考えるプロセスそのものが違うのかもしれません。

たとえばメモ。

ぼくは話を聞きながら要点を抽出して紙に落とす(記録する)という「考えながら書く」スタイルです。

しかし彼女は記録するところはスマホにアウトソース(?)し、自分は要点を理解しつつ考える部分にフォーカス。

プロセスそのものが違うので、ツールである「紙とペン」「スマホ」の優劣はつけられません。

成果が出ているかだけが評価ポイントです。

しかし彼女、仕事できるんですよね。

まとめ:紙とペンはオワコンになってもおかしくない

思考の品質は成果の品質に直結します。

より広く、深く、洞察に富む思考ができることが重要なのであって、ツールは正直、なんでもいい。

となると結局よりなじんでいるツールを使えばいいという話になります。

「スマホやタブレット」を使って考えることが当たり前のデジタルネイティブにとって「紙とペン」は前世代的なオワコンツールなのかもしれませんね。

そしてぼくたちおっさんも、遅かれ早かれそっちに向かっていくんでしょうね。

スマホやタブレットなどのデジタル製品が使えない環境でのバックアップとして紙とペンは残ると思うものの、メインストリームからは外れていくかもしれません。

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