効率や生産性を追い求めてはや10年弱、自分のパフォーマンスを最大化するためにあらゆることをやってきました。
が、あるとき、こちらの記事に紹介されている「過最適化」の事態におちいったことがありました。
参考 効率性の追求が変革の機会を奪う–「定型硬直」に効く“ワカモノ”の条件 – ZDNet Japan
「ああ、この効率化は目の前の環境に過剰に最適化されてしまったものだったんだな」
そう思ったぼくは、最適化しすぎないために超えてはいけないラインを探し始めたのです。
今回はその中で見つけた超えてはいけないラインを共有したいと思います。
そもそも仕事の効率化とは
仕事とは、コミュニケーションと作業によって構成されます。
コミュニケーションはいわゆる報連相に順ずるもので、
- 意思決定・承認
- 情報共有
- 議論・討論
などが含まれます。仕事をチームで行うために必要な「つなぎ」ですね。
そして、コミュニケーションの結果として各個人に配分されたタスクをこなすのが作業です。
- 調査をする
- 資料を作る
- プログラムを書く
一人で行うものに落ちていますよね。仕事の「成果物」が実際に作り上げられるプロセスです。
単に手を動かすだけでなく、これらをこなすために「考える」のも作業に含まれます。
さて、仕事の構造が理解できたところで、コミュニケーションと作業、それぞれにおける効率化とはなんなのか、考えてみましょう。
コミュニケーションの効率化
まずはコミュニケーションです。ひとことでコミュニケーションと言ってもタイプは様々です。ここではさきほど挙げた3つについて例を上げて深掘りしてみます。
- 意思決定・承認
- 情報共有
- 議論・討論
意思決定・承認
まず意思決定や承認について、最もわかりやすいのが「承認ワークフロー」だと思います。
たとえば何かの予算枠を取る際に
- 予算案のドキュメントを作成する
- 課長レベル承認をもらう
- 部長レベル承認をもらう
のような承認フローを通す必要があったりしますよね。これが「承認ワークフロー」と呼ばれるものです。
こいつの効率化というと、代表的なのが「ワークフロー管理ツール」です。
紙ベースでハンコを押して回るのでなく、社内Webサービス上ですべてを完結させ、承認の進捗などの状況を見える化したり、遅れている案件について承認者にリマインドを送ったり、というもの。
承認ワークフローの運用自体を高速化する、というアプローチのほかに、承認ワークフローをあえて無視して承認を早める方法もあります。
ガバナンス上はよろしくない裏ワザなんですが、仕事を早く進めるにあたっては実によく効く方法です。ぼくもちょくちょく活用しています。
情報共有
次に情報共有ですが、古くは回覧板や掲示板が使われていたところに
- ファイル共有
- チャット・音声会議
- Wiki
- 社内SNS
などのツールで代替されるようになりました。
電子化された世界のうえで情報をやりとりするのは非常に便利ですし、効率化に一役買っています。
各ツールに特化した方法論やアドオン、カスタマイズでさらなる効率化を実現しているところも多いのではないでしょうか。
一方、「どう整理・管理・活用するか」という新たな課題があるものまた事実。
情報をどのような単位で整理するか(整理学)は図書館情報学として学問化されているものでもありますよね。
情報共有のための会議を行う場合であっても、アジェンダやテンプレートを決めるなどを通じて「共有すべき情報はなにか」を明らかにするなど、効率を求める工夫ができたりします。
議論・討論
最後に、議論・討論です。
なにかを決める際に意見をぶつけてよりよい方向や結論を見つけ出す行い。主に会議で行われることが多いように思います。
ここでできる効率化は、議論のデザインと下準備に尽きると思います。
次に、ショーのデザインをしていきます。
つまり、会議の目的を達成するためのストーリーや内容を組み立てるのです。
会議名は演目、アジェンダはショーの流れやメニュー、アジェンダ別のコンテンツは台本、そしてスライドのデザインはショーの演出にあたります。
では、どのように会議をデザインすれば会議の目的を最短距離で達成できるのか?
そこさえしっかりしていれば、よほどの前提変更や知識不足がなければ結論は見えているはずだし、流れもデザインできるはず。
事前にどれだけ考えることができるかが議論・検討の効率化に一役買います。
作業の効率化
次に、一人で行う作業の効率化についてです。
が、特にあらためて語る必要なないかもしれません。
こちらの記事で触れている通り、「作業」の効率化の方法は山ほど公開されています。
- コミュニケーションを効率化も意識しろ
- 作業ばっかじゃなくてそっちの方に頭を使え
- じゃないと効率化なんて無理
というのがこの記事で主張したかったことです。
作業効率化のためのツールや世の中にあふれています。
ともすると、そのツールに依存した効率化になっている可能性もありますよね。
効率化には最適化が欠かせないが、リスクもある
さて、ここまで仕事を
- コミュニケーション
- 作業
の2つに分けた上で、効率化とは何なのか、実例を交えながら考えてきました。
ここから先では、
- 効率化を追い求めるあまり、過ぎた最適化に陥るリスク
- リスクを回避するための考え方(超えてはいけないライン)
について、考えていきます。
最適化しすぎるリスク
最適化とは、使っているツールや方法論に特化した効率化手法を適用することです。
たとえば、いつもExcelやPhotoshopを使っているから、効率化のためにショートカットキーを覚える。
たとえば、いつもAという在庫管理アプリを使っているからその使い方に習熟する。
たとえば、自分が愛用しているカバンに特化した収納の仕方を決めておく。
これらはすべて、効率化のために最適化をしている事例です。
最適化は効率を求めるにあたって非常に強い方法です。ショートカットキーなしでExcelを使うなんて、作業が遅すぎて考えられません。
しかし、最適化はツールや方法論への依存という側面を持っていることには注意しなければなりません。
ツールが使えなくなるリスク
ぼくが仕事で使っている会社貸与PCはWindows機なんですが、プライベートのPCはChromebookという別OSのものを使っています。
何が起こるかというと、OSやアプリが全く異なるため、仕事で身につけた作業効率化の手法がプライベートに流用できなくなります。
- Excelのショートカットキーは熟知してるけど、Googleスプレッドシートでは使えない
- いつも使っていたテキストエディタの便利機能が使えず、文書作成がはかどらない
- MS Office Onlineで資料を作ろうとしても使い勝手が違ってはかどらない
ぼくのPCスキルがどれだけWindows+MS Office環境に最適化されていたか、という話です。
このように、状況が変われば使う(使える)ツールも変わります。
1つのツールに最適化しすぎると、新しいツールを同レベルに使えるようになるまで時間がかかります。
これがツールが使えなくなることによるリスクです。
自分や組織が硬直するリスク
次に、冒頭で紹介した記事の主張と同じく、最適化されているあまり、そこから動けなくなるリスクもあります。
慣性というのはおそろしいもので、新しい行いをしようとしても必ず
「今の仕組みや方法論でうまくいってるんだから、なんでそれをわざわざ変えなきゃいけないんだ」
という声が上がるものなのです。(そしてそういうことをいう人の多くは視野狭窄に陥っている)
大学でテニスサークルの幹部をやっていた時代のこと。
ぼくの代でこれまでの風習や練習方法を抜本的に見直す機運が高まりました。
これまでやってきたものの無駄が目につくようになり、改善していかないとサークルメンバーの不満がたまる一方なのが目に見えたからです。
先代幹部が「考えれば考えるほど効率的な方法なんだ」とのたまっていた練習法が、ゼロベースで考えると全く効率的じゃなかったりする。
そこで日夜幹部同士で話し合いをすすめ、「コレだ」という案を組み上げました。
しかし、そこで立ちはだかったのが上級生でした。
彼ら・彼女らの言い分はただひとつ。「なぜ変える必要があるんだ」
たしかに、歴代の幹部たちが組み上げてきた練習方法や風習には理由がある。
そして幹部の行うオペレーションはそれらに特化(最適化)したものが多いので、変えるには相当の努力が必要。
とはいえ、参加者の目的(たくさんテニスがしたい)を考えると変えなければならない。
過度に最適化されたルールやオペレーションを組み替えるのは骨が折れました。先代幹部たちの説得も含めて。(正直、二度とやりたくない)
結果として、変化への追従が遅くなるリスク
昔からあるもの、今使っているものを最大限活用して超効率的に使っているよ。という人や組織は、往々にして上に挙げた2つのリスクが顕在化しがちです。
しかし、変化の激しい時代なんです。追従できないものは振り落とされ、淘汰されていく可能性は否定できません。むしろ変わることが生存戦略のキーだったりもします。
そこで、過度に最適化された状態を無理に維持しようとするのは自殺行為です。
たとえば、COBOLで組まれた30年もののメインフレーム機をいまだに使い続けるのはリスキーなんですよ。
ポンコツで機能追加もままならない機械が事業の核となるデータを管理しているとしたら、新しい事業展開や事業拡張の際にそのポンコツが技術的ボトルネックになってやりたいこともできなくなってしまいます。
効率化で超えていけない過最適化ライン
では、このような最適化リスクをさけるために超えてはいけないラインとはどこなのか?
それは、目的や方法特化でなく、ひとつ上の抽象的なレベルにとどめることです。
具体例で考えてみます。
ツールの場合:ツールに依存していないか?
ツールを使うことを例にしてみます。
たとえば、1つのプログラミング言語を知り尽くした人は、ほかの言語であってもすぐに使いこなせるといいます。
プログラミングにおいて使うアイデアや考え方、仕組みの本質的な部分を抽象レベルで理解しているからです。
そこを身につけている人は、どんな道具でも料理ができてしまうもの。
たとえば、包丁ですべての下ごしらえを終わらせられる人は、皮むきでもなんでも包丁ひとつあればこなせます。
皮むき器に依存している人にはできない芸当です。
よりシンプルで抽象的な器具に特化したスキルを持っているからこそです。
たとえば、ExcelでもGoogleスプレッドシートでもR言語でもそれなりのデータ分析ができてしまう人。
ツールの使い方によらない、本質的かつ抽象的なデータ分析の知識を持っているからこそです。
Excelの便利ボタンしか使えない人には無理な芸当ですよね。
このように、ツールに依存しないことが最適化リスクを避けるひとつのラインになりえます。
仕事の場合:ルールやスタイルが目的化していないか?
ツール以外で言うと、
- 組織のルールが目的化してきたらNG
- 自分のスタイルややり方に固執してしまったらNG
と考えておけばよいかと思います。
仕事は、社会のルールを守る前提で、早く、旨く、安くできることがすべてに勝る正義です。
そのためなら、Why/How/Whenの視点を切り替えて自分を奮い立たせたり・・・
本質に立ち返って最適な道を追い続けたり・・・
ということを通じて、ルールやスタイルに最適化されすぎた状態から脱却できるはず。
とはいえ、組織の場合は最適化に踏み込んだレベルでの効率化を求められるのも事実。
変化の頻度が小さい前提ではそれが正義だったからです。
しかし、個人は組織に比べて変化は激しいはず。
変化の少ない組織にいるからといって、自分まで過度に最適化されることはありませんよ。
組織の外、会社の外は、めまぐるしく変化しているんですから。
まとめ:だからこそ必要なキャッチアップ力
というわけで、効率化という文脈にける変化対応と最適化のバランスポイントについて考えてみました。
特化型の効率化スキルをつけると、そのスキルが使えないステージにたった時には役立たずになります。
対策は、組織であれば「常に変化している」ことを組織の風土にするほかありません。
そのためには
- トップが一貫して「変化する」というメッセージを発信し続ける
- 実際に組織に変化が起こっていることをメンバーに実感させる
- そのための施策を定義し、予算と人員を確保し、ひたすら実行する
ということになるかと思います。
楽天の三木谷社長が定期的に全社定例を開いていたり、ひたすら「スピード!スピード!スピード!」というメッセージを発信しているのは有名な話ですよね。
組織が変化に耐えられるようにするための施策の1つなのでしょう。
個人であれば「スキルを素早く学ぶスキル」を身につけるのが一番のリスクヘッジになると思っています。
詳しくは、下記記事をどうぞ。
コメント
頭悪いなぁ。もしか解が多峰性だったら努力すること自体が悪手なのに。リーマンショックのときに一番パフォーマンス良かったのはただ貯金してた人みたいにね。
一度心が折れたのなら、遠くをみて為すべきことを考えたらいいのにと思うよ。
ぼさん
コメントありがとうございます。
資産運用における「なにもしない(あえてポジションを持たない)」とスキル開発や組織活動としての「なにもしない(なにもしない)」は文脈が異なるのでは。
多様性が解だからこそ「キャッチアップ力」が重要と言っているのです。